それほどよく話をするのかと言われれば、親子ほどの年齢差ゆえ、いつもご一緒させていただいているにもかかわらず、何を話すということもなく・・・
口を開けば、ただただ何かを褒めてくれるだけ。
いつも美味しそうにお酒を飲んで、真っ赤な顔をして、大きな声を出して楽しそうにしながら・・・
本当によく飲むな~、なんて少し心配もしましたが、ワイワイ皆で一緒に過ごした時間がもう来ないのかと考えると寂しくて仕方がありません。
また、いつも私のフェイスブック投稿には必ず「いいね」をしてくださり、何かあるごとにコメントをくれましたね。
食べ物の写真ばかりをあげていると、私の身体を気遣って、それとなく注意のコメント
いつも気にしていました。
喜び事があれば、一緒に喜んでくれるコメント。
いつも感謝していました。
最後にあなたがフェイスブックであげたのはこのブログで・・・
なんでだろう、とその意味を考えると、涙がにじみ出てきます。
いつもほどよい応援者で、いつもほどよい理解者で、常にそれとなく側で暖かく見守って頂き、なぜなんだろうといつも感じながら、親のような親近感を感じていました。
近頃私も年を取り、人の機微を感じられるようになってきた中で、これからやっと、いろんな、「なぜ」でつながれた不思議な関係を少しづつ研ぎほぐして行けたはずなのに。
そんな矢先に、あなたは私に「とてもあたたかい、何故」だけをおいてあまりにも早く逝ってしまった。
悲しすぎます。
私にはまだ、「今」の現実を受け入れられず、あなたのくれた何故の意味はまったくわかりません。
あまりにも早すぎます。
もっとたくさん話をして、あなたの言葉を聞きたかった
もっといろんなことを教えてほしかった。
私はこれから、あなたがいつも私を見守ってくださった意味を考えていきながら、あなたのあたたかさを胸に抱いて、日々を歩いていくしかありません。
どうか引き続き、あたたかく見守ってください。
そして、安らかにお眠りください。
合掌
